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タモリと上岡龍太郎<4>2人の営業

  • kajiwarazassi
  • 2015年6月15日
  • 読了時間: 4分

タモリと戦後芸能史

  フジテレビ系『ヨルタモリ』の初回放送で、タモリ扮する大阪の工務店社長・阪口は年の若い弟に説教をする。

 「お前なあ。営業やってる、営業やってるいうけどな、あれは、営業やないで。お前は、重心のかけかたが違うんや。お前の重心は後ろにかかっている。お前、『○○さんいらっしゃいますか』と聞くやろ。いなかったら帰るやろ。それは、お前の心のどこかでいなくてよかったと思ってるからや。『いらっしゃらなかったら、いつごろ帰りはりますか?』やろ!」。

 1960年代後半から70年代前半まで、タモリは福岡でサラリーマンをしていた。朝日生命の外交員や大分のボウリング場支配人、駐車場、喫茶店の責任者と職を転々としていた。いずれの仕事でもタモリはトップセールスを果たしていたという。実際に営業の仕事をしていたタモリだからこそ、このセリフを吐けるのである。

 サラリーマン時代にジャズマンの山下洋輔や中村誠一らにスカウト(※詳細はwikiとかでみてください)されたタモリは、上京し、漫画家・赤塚不二夫の家に居候(※詳細はwikiとかでみてください)。毎夜毎夜、飲み屋に顔を出し、芸を披露した。今度は芸を披露することがタモリにとっての営業になっていく。その主戦場になっていた新宿歌舞伎町のスナック『ジャックの豆の木』には前出の赤塚をはじめ、筒井康隆、奥成達、柄本明、山本晋也、黒鉄ヒロシ、浅井慎平といった常連客がいた。文化人界隈で、タモリの噂は広まっていく。『ジャックの豆の木』ママのA子は洒落で「オフィス・ゴスミダ」社長を名乗り、タモリのマネジャーを始めた。後に『笑っていいとも!』の構成作家となるフリー編集者・高平哲郎は知りうる限りの芸能人をタモリに紹介した。

 こうして仕事が増えていったタモリは、ある日、大物芸能人宅に訪れる。萩本欽一である。萩本は当時、視聴率100パーセント男と呼ばれ、民放各局で番組を持ち、バラエティ界の天下をとっていたころの話だ。

 タモリは萩本家の数10メートルくらいのところにあるアパートに住んでいたということから「いやあ、近くに住んでるんで、おもしろそうだからピンポンしたの」と軽いフットワークで家の中に入り込む。萩本家にはパジャマ党といわれる放送作家集団がいたが、タモリはスルスルっと芸を披露し、3時間以上彼らを笑わせっぱなしにした。萩本は「来週の台本を書いているから、頼むから帰ってくれ」とお引き取り願ったのだそうだ。

 ちなみにだが、この話。萩本は『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのゲストとして出演した際、「あのときから、タモリのことが嫌いになった」と話しているが、『小林信彦萩本欽一ふたりの笑タイム』では「いっぺんにタモリさんのこと、好きになっちゃった」と述べている。たぶん、前者はテレビ上での冗談で、後者が本音なのだろうと思われる。

 一方、上岡龍太郎は10代で芸能界入りし、漫画トリオで一世を風靡。横山ノックが参議院選に出馬したことで1968年、ピンでの活動を余儀なくされた。その際、上岡は『上岡龍太郎のすべて』という経歴を作って方々に配布。名古屋のCBCという放送局がこれに飛びつき、『ばつぐんジョッキー』というラジオ番組の水曜パーソナリティーに抜擢した。上岡は1986年まで放送された同番組で唯一、全放送期間を担当した。

ラジオをベースにし、活動の場を講談、演劇などにも手を広げ、芸能生活の晩年には東京のテレビにも進出した(東京嫌いだったのに)。

 この世代のバイタリティーだったりフットワークの軽さだったりっていうのは、頭が下がるというか、すごいなあと思う。これを時代のせいにするのはよくないけれど、やっぱり、時代が人間を作るというのはあると思う。10代までに進駐軍がやってきて、60年安保が起きる。20代を迎えるころには東京オリンピックがあって、ビートルズが来日。ヒッピー文化が輸入されて、フォークソングが全盛を迎え、浅間山荘事件。戦争でなにもかもがなくなった日本から、勢い、挫折、高揚。そして、さまざまな混沌が生まれていった。

多分、何もなかった時代を幼少期に見ている2人は、この混沌を信じていなかったのではないだろうか。

 話を戻すようだが、タモリ来訪事件について、萩本はこう感想を述べている。

 「でもね、突然だれかのうちに行くっていうのは、自分にないものを吸収しようと思ったり、前進したいからなんじゃないの? もっと成長したいとか、真剣に自分の未来を考えてる人は、積極的に人に会いに行ったり、よそのうちに飛び込んでいくんですよ」。

 そうなんだ。ロジカルな視点を持つ2人は、その混沌とした時代に、心に秘めた熱いパッションを持ちながら、真剣に自身の未来を見据えていたのだ。

参考文献:

『タモリ伝』著・片田直久

『ぼくたちの七〇年代』著・高平哲郎

『小林信彦萩本欽一ふたりの笑タイム』著・小林信彦、萩本欽一

『上岡龍太郎かく語りき』著・上岡龍太郎

 
 
 

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