新宿のエンジン
- kajiwarazassi
- 2015年6月4日
- 読了時間: 3分
1年前。
ルミネエスト新宿の屋上で食品会社の新製品発売イベントがあるというので、取材に行った。集合場所がルミネの従業員専用入り口だというので、ウロウロしながら探す。見つけたとき、新宿にこんなところがあったんだと思った。
東京の副都心。一大ターミナル駅で1日の乗降者数がギネス記録。日本最大の歓楽街で商業文化の拠点。超高層ビルが立ち並ぶ街。なんでもある街、それが新宿。

新宿は、江戸時代に甲州街道の宿場町として栄えたところから始まった。宿場町といえば飯盛女。そのころには岡場所(非公認の売春宿)が繁盛していたそうなので、今の風俗街やゲイタウン二丁目の原型はこの時点で形作られていたのだろう。
大正から昭和の時代にかけて、中央線のほか、小田急線や京王線、西武線が乗り入れたことによって、新宿は爆発的に繁華街として成長。映画館や劇場が立ち並ぶようになった。ムーランルージュという劇場からは、森繁久弥や左ト全、由利徹らが世に出ていく。
ほかにも、ジャズ喫茶や唐十郎のアングラ演劇などが生まれ、若者文化をけん引するスポットがいたるところに出現する。そして、新宿騒乱。新宿西口の地下広場でベトナム戦争に反対する若者が、ギターをかき鳴らした。しかし、若者たちは機動隊によって排除され、道路交通法のもとで立ち止まることが許されなくなった。これをきっかけに、ある種の新宿の若者熱みたいなものが冷めていく。
70年代以降、新宿は歌舞伎町や二丁目、思い出横丁、ゴールデン街なんかも含めて、老若男女どんな人でも包み込む町になっていった。伊勢丹、ルミネ、京王、小田急、アルタ、紀伊国屋、ビックロ。娯楽施設や、飲食店。西口は都庁が建ち、高層ビルのビジネス街となり、日本の超スーパーウルトラ平均的な街となった。

さて、この写真はルミネエスト新宿の従業員入り口から南口方面へJR新宿駅沿いに伸びる道路を写したもの。新宿は平日土日関わらず、朝から晩前どこを歩いていても、人であふれている。にもかかわらず、この道は駅のホームの目の前だというのに人通りがまばらである。
この道は商業ビルの裏にあたる。こんな道、なくしちゃって、道路部分までビルを伸ばせばいいのにと思いながら、歩いてみる。すると、この道は商業ビルの従業員入り口や商品の搬入口、パチンコ屋の景品交換所などに使われているということがわかる。
この道は、新宿のエンジンだと思った。街を動かすための動力源である。表通りがエネルギーとすると、裏通りはエンジン。物事には表があれば裏がある。
宮沢章夫の『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』によると、1960年代は、銀座を一流とすると、新宿は二流の盛り場だったそうだ。1975年生まれの私には二流の盛り場だった時代の新宿を知らない。神奈川出身の私にとっては、副都心線ができるまで、新宿は遠い街だった。
最近になってやっと慣れた新宿は、普通の街だと思った。日本全国のいろんな街のおいしいところばっかりをとった全国うまいもの大会みたいな街である。うまいものにつられて、表通りは人だらけ。人ばっかり見てると気が遠くなる。
新宿を楽しむにはまず、裏通りからだ。裏通りから60年代70年代の香ばしい香りを妄想する。寝っ転がりながらマリファナ吸ってるヒッピー。靖国通りをジグザグデモとかフランスデモをする学生運動世代。ビートたけしと永山則夫がバイトしていたジャズ喫茶…。
そう思うと、幅広いな新宿って。活力あるよなあ新宿って。そんなことを思いながら、私はルミネの従業員専用入り口で受付を済ませ、屋上に向かうのだった。
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